20歳 大阪府立天王寺職業訓練所 機械製図科卒業
平成18年 大阪府立夕陽丘高等技術専門校 CAD機械科
講師としてスタート |
偶然ハローワークでみつけた、求人票(パート募集)

初級機械CADトレーサ技能審査 平成18年スタート |
夕陽丘専門校CAD機械科は、優秀な若い女性がたくさんおられ、訓練生の要望からスタートし、資格指導は始めての経験でした。
その後
この資格は、中級機械トレーサー
として、すすんでいきました。 |
その後
大阪府立夕陽丘高等技術専門校CAD機械科は
平成19年に大阪府立東大阪高等技術専門校へ移転し
機械CAD科となりました。 |
機械CAD科では3次元CAD(ソリッドワークス)を、主に、指導担当しました。
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その後
3次元CADが好き訓練生が多く
資格とり、3次元の就職へと
すこしづつ、ひろがっていきました。 |
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CAWA (この資格はソリッドワーク社が、おこなっている資格)
平成20年スタート |
訓練生達のソリッドワークスを、もっと学びたい強い意欲とソリッドワーク社のご支援で行われ各自宅のパソコンから受験しました。
初級建築CADトレーサ技能審査 平成22年スタート |

機械CADトレーサーだけでなく、建築CADトレーサーも、一緒に受験したいと、訓練生達、自ら、テキストを作成し、各自練習しました。
私は、建築製図に関することだけを、補習しました。 |
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その後
●6ヶ月間で機械、建築CADトレーサーともに、合格され仕事にCADいかして、がんばっておられます。 |
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このクラスは、40代の男性がおおくて、当時不景気で、就職は、むずかしかった時です。
訓練生A氏が会社面接で、「QC検定をもってるか」と聞かれた、との報告を聞き、QC検定の名前をはじめて知り、それに、とりくみました。

その後
●訓練生達は、QC検定の必要性を、私より、よく知っていました。補習授業でがんばり、クラスのほとんどが受験し、合格率も高かったです。私も訓練生と一緒に受験、合格しました。 |
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訓練生A氏が教えてくれたQC検定は、後輩の訓練生達に道を拓き、QCの資格をとり、仕事に就いておられる人もおられます。 |
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これらの資格指導は、「資格を取得して就職を」と熱意ある学校の援護によって、成り立っていきました。
平成24年3月 大阪府立東大阪高等技術専門校 機械CAD科講師退職
その後
大阪府立東大阪高等技術専門校の機械CAD科は、平成25年3月で終わり 改めて4月より機械CAD設計科となり、1年間コースに生まれ変わりました。 |
平成24年4月 JRT楽々CAD教室(ボランテイア) 開設
この資格は、CAD教室開設3年めにあたり、理数に強い川上君にすすめました。また、他のCAD学習生達や、現場経験者達は必要性をもっておられる人が大勢おられ、スタートしました。
この試験は9科目です。 川上君合格しました。
設計関係に勤めていたごろの資格、定時制で学んでことが役にたち、これらを参考にしながら、皆様と一緒に学習しました。
2級建築士が力学関係に、2級官工事施工管理士が流量関係に、消防設備士甲種4類が電気関係に、仕事にCADつかっていたのが機械製図に、定時制高校にならっていたのが、電気関係、情報関係 他の科目等に役に立っていきました。
大阪市立生野第二工業高等学校(定時制) 平成5年に入学
平成7年 電気科・情報処理 を卒業(50歳) |
●この定時制高校は、急激なコンピュータ化が、はじまり、まだ、ならっていない優秀な中高年のビジネスマンが、情報処理習いに仕事帰りに夜学にかよいました。
パソコンつかえないと、解雇なりそうなひとを、たくさんのひとを、救いました。
●この先生方が卒業10数年後、講師の仕事についたときの、お手本となりました。
●この定時制高校で、情報処理3級を、とらしていただきました。
●この資格が、10数年後、大阪府立ITステーション障害者サブ講師の道をひらきました。
このITステーションは、障害者自身のためでなく、参加することにより、その後、専門校講師、CAD教室講師になったとき、障害者理解に非常に役にたち、このITステーションは、障害者の理解、啓蒙にも、役にたっていきました。
その後
大阪市立生野第二工業高等学校は、ひとつの時代を終え廃校となりました。 |
平成26年技能検定 技能検定3級 機械製図 スタート |
川上君15歳で、3次元のモデリングに興味をもち、その後2次元化とすすみました。
18歳のとき、受験、合格しました。周りに優秀な学習生にめぐりあえ、本人がCADすきだったことが、合格にむすびつきました。 |